目の前の生物は、不機嫌そうにその長い首を振り回している。 首だけで3,4メートルくらいはあるだろうか。 その何とも言えない生々しい目が恐ろしさを倍増させている。 …冷静になって、状況を確認してみよう。 俺は木口孝也(きぐち たかや)。 年齢14歳、至って普通、多少普通と違っていることがあったとしても、 あらゆる能力が平均以上で、チョコレートが好きな中学生って事くらいだと自分では思う。 今日はちょっと居残りさせられて遅くなった。…塾でだけど。 疲れて重い肩で塾の入り口のドアを閉めると、自分の腕に付けている時計を見た。 「うわ、終電まであと10分しか…」 その言葉を言う時間も惜しく、途中で口を塞いだ。 俺はいつもの帰路を走り出した。 とある電機店の前を通った時、いいアイディアが浮かんだ。 「路地裏…通るか!」 迷ってはいられなかった。 もう12月下旬、この寒空の下を歩いて家へと帰るのはごめんだった。 「ヤバイ、あと5分だ…間に合うか?」 急いでいたのか前方不注意だった俺。路地裏の広い所で何かにぶつかった。 「うわっ!…痛ってぇ…」 「何か」は硬いものだった。人とぶつかったのではないと確信したので謝罪の言葉は控えておいた。 その直後、目の前、といっても少し上方から何かの轟音のような雄叫びの声。 その雄叫びの声に怯えながら視線を上へと向ける。 暗くてもある程度見えた。その物体には口もあり、目もある。 しかしそこにあったのは、とても人間のものとは認識することが出来ない、鱗で包まれたかの様な頭部だった。 そう、俺が衝突したのは、巨大な生物だったのだ。 「何故生物と思ったか」と聞かれても、「印象がそうだった」というようにしか答えられない。 何しろそれは巨大で、音を聞き、物を見、しっかりと自らの五感(味覚と嗅覚は分からないが)を動作させているのだ。 それが今に至る訳だが… いっそあの時、どこかの不良にぶつかっていた方がまだマシだった。 そんなどうしようもない後悔をしながら、今俺はこの生物の右側に位置している。何とか、目に付く正面を避けたのだ。 今あの生物の前方にあるのは取り残してきた鞄だけだ。 移動する際に転んだため、手のひらに軽い擦り傷を負ってしまった。それほどまでに焦っていた。 この生物にぶつかってからとっくに5分は経過し、終電は既に発車していただろうが、今はそんな事は全く気にならなかった。 辺りが暗いためかその生物は黒色に見える。 その風貌は、ロールプレイングゲームの好きな俺から言わせれば「ブラック・ドラゴン」としか名付けようがなかった。 (…一体何だって言うんだ!) 目の前に危険物と思われるものが在る、それよりも何も言葉にならないという以上、心の中で叫ぶしかなかった。 遂にブラック・ドラゴンはこっちに気付いた。 こんなに早く気付かれるならば多少危険を冒してでも遠くへ逃げておけばよかった。 (俺の人生、こんな変な終わり方なのか…?) ドラゴンは「この様な生物は弱らせなくても問題ない」と確信したのだろうか。口を開けてまっすぐにこちらに向ける。 そう、この俺を食すつもりなのだ。 弱らせなくても問題ない獲物であろう俺は、何も為す術がなかった。 そして俺の体はドラゴンの口の中へ… ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― がばっ。 「ゆ…夢だったか…」 自分でも驚くほど冷や汗を掻いていた。背中の辺りが少し冷たい。 (…本当にとんでもない夢だったな…死ぬ!とか思った自分が情けない…) 布団から起き上がって大きく背伸びをする。 やはり汗で背中に衣服がくっついた。 (うわぁ…) 流石に気分が悪いので着替える。 朝の食卓に並ぼうと階段を降りると、母が、 「あら、着替えてから降りてくるなんて珍しいわね」 と軽く言う。母が反応を示さない以上、どうやら俺の顔色は悪くないようだ。 着替え(やその他)はルーズな俺だが、洗面はしっかりする。今日も欠かさず… 「…ん?」 右手の平に瘡蓋があることに気付いた。顔に当てるとカサカサしているので嫌でも気付くが。 心当たりはあるような気がしたが、とりあえずは考えないことにした。 今日は少し早く学校へ行かねばならない。係の仕事があるのだ。 支度を済ませ、玄関先で靴紐を結んでドアへ向かった瞬間、 「そういえば昨日は…」 と言う母の声が聞こえた気がしたが、 気のせいだと思いながら今日も普通に学校へと繰り出した。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 学校に着いた頃にはもう7時55分。 自分の担当している係の活動は終了し、普通の生徒が来るには早い時刻となった。 当然、当番に遅刻したことには罰を受ける。…こんな形で。 「ちょっと木口君、また遅れたの!?」 「う…す、すみません」 「アナタが遅れても他の人がアナタの分までやってくれるからいいけど、アナタだって一応当番なのよ?」 「いや、いいってことはないだろうよ浅木さん…」 「米田君は黙ってて!」 …何故花壇の花の水遣りを怠っただけでこのように凄い剣幕で怒られる必要があるのだろうか。 しかも同学年に敬語まで使って。 そもそもこの時期に花なんて、山茶花くらいしか咲かないだろ…? このいかにも「委員長」な感じの奴は、浅木舞(あさぎまい)。同じクラスの女子。イメージ通り(生き物係兼)クラス委員。 責任(をしっかり取らせようとする)感が強いのだろうか、このような時にはいつもこの人の声が聞こえて来る。 その人物に八つ当たりを受けたのは米田章吾(よねだしょうご)。コイツも同じクラス。 いつも少し抜けた感じの性格をしているが、この中で一番、知識が深いかも知れない…侮れん。 「まぁ孝也も別に遅れたくて来たんじゃないんだろう?」 「そりゃあ、もっと寝たいのを抑えながらこれだけ早く来たんだし…」 「遅れたのは一緒でしょう?ならば先生に報告するまでよ」 …その「狩ってやる!」みたいな目で言わないで欲しいのが本音だ。 だが遅れたものは仕方ない。よっていつまでも言い合っているのも仕方ない。 とりあえず俺達は教室に入った。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 少し話を飛ばす。 今俺の目の前には、大きな植物が立っている。 それも、今の季節には似つかわしくない、向日葵の様な植物。 その向日葵が、何故か着いている大きな口で、雄叫びを上げているのだ。 「とんだクリスマスプレゼントだな…サンタさんよ」 ―実は、あの夢にはまだ言っていない続きがある。